ときめきフレーバー

2007年9月24日。最高のクラスメイト9人に囲まれた“永遠に卒業しない学校”に入学。

今の気持ちと今後について

 

ジャニーズが大好きだった。

きみたちの見せてくれる景色が大好きだった。

それがわたしの世界の真ん中にずっとあった。これからもあり続けると思ってた。

 

NYCができた時のこと。

山田くんがソロデビューした時のこと。

田口くんが脱退発表したときのこと。

いろんなことを思いだした。

 

笑顔をくれるはずの人たちから笑顔が奪われる瞬間がたまらなくいやだ。途方もないほどつらい。大好きな人たちが道具のように使われるさまが泣くほど苦しい。

 

好きでいるのがしんどいな、と思って、今月はすこしジャニーズを追うのをやめていた。

いつも見てたライブDVDも見るのをやめて、レギュラー番組も録画だけにした。ジャニオタの本能かなにかで今回の出来事を回避しようとしていたんだろうか。

あのニュースを聞いてから、Twitterを起動させることも、テレビをつけることもしていない。心配した友人たちからの連絡もまだちゃんと返しきれていない。部活に神経を注いで、いろんなことから目をそらして、生活をしている。

 

ジャニオタをやめよう、と思って、ふと身の回りを見た。

紫のカバンは、小山くん。

赤色のネイルは、山田くん。

アイオライトのネックレスは、優馬くん。

いろんなことが、たくさんのものが、わたしが彼らを好きな証拠だった。身の回り、彼らのこと思い出すものばっかりで、つらかった。

生活のあらゆる場所に彼らの欠片があった。彼らと関係の無いものを探す方が難しかった。君がいない世界は無声映画みたいだ、って、だれかの歌を思い出した。

 

 わたしの生活はアイドルでいっぱいだった。世界を彩ってくれる彼らが大好きだった。毎日が楽しかった。

なのにそんな彼らの努力を、愛を、尊厳を踏みにじるような力が、確かに働いていた。

大好きな人たちがその力の支配下にいるんだという事実そのものがたまらなくいやだった。

 

いまは、ひとりになりたくなくて、いろんな友達の家に泊まって、部活に行って、バイトに行っている。

ひとりになったら、泣き出して、死にたくなるほど辛くなるってわかってるから。

あの5人のコンサートに死ぬまでに絶対行くんだって、よく言ってた。田口くんの時もそうだった。死ぬまでに行くんだ。それっていつまでだよ。なんにもしなかったくせに。どこにも行かなかったくせに。口だけだったくせに。自分が愚かで馬鹿で嫌になる。情けない。

 

ジャニオタをやめたい、と思っている。

だけど、生活の中核に、節々に、彼らの夢の欠片が、愛が、たくさん散りばめられていて、日々を過ごすだけでたまらなく泣きたくなる。

それがいまのわたしの気持ちです。

 

今後のことについては、まだわかりません。

24時間テレビも、JUMPのコンサートも、優馬くんの舞台も、たまらなく楽しみだったのに、いまはどうしたらいいか、なんにも思いつきません。

 

一人旅に行くことにしました。

だから、ちゃんとわたしの世界を見つめてこようと思います。自分の世界がどんなものだったのか、彼らのことをどう思いたいのか、考えてこようと思います。

 

それからまた、だれかに心配をかけないように、言葉にします。ひと夏かけて、その答えを見つけます。

だから、その時まで。おやすみなさい。

 

Hey! Say! JUMPツアー2016「Dear.」7/30 2部


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Hey! Say! JUMPツアー2016「Dear.」行ってきました!!!!!!!!

 

以下、しがないオタクのねっとりとした感想(感傷?)です。若干のネタバレあります。

 

 

 

 

 

コンサート全体を通しての感想を一言で、と言われたら間違いなくこう答えます。

「やるじゃん!!!!!!!!」

 

最近、色んなグループのコンサートに入らせてもらえることが増えて、KAT-TUNやNEWSやKis-my-ft2など、毛色の違う色んな現場を見る内に感じていたのは、JUMPの圧倒的なコンサートの弱さでした。

数はこなしているのに、どうしても「またか」って思えてしまう演出、振り付け、ダンス。踊って欲しい曲を踊ってくれなかったり、何度もなんども同じ曲をセトリに組み込んだり。そんなことが多くて、正直にいえば、JUMPのコンサートは本当に「まだまだ」なんだなと思っていました。

まだまだ、成長途中、発展途上。

そんな風に思いはしながらも、「もう10年になるのに。」心のどこかそう感じていたこともまた紛れもない事実です。

 

でも今回は、そうじゃなかった。

完璧じゃないかもしれない。まだまだ不完全で未熟かもしれない。

だけど、JUMPが確かに「世界を作っている」というのをしっかりと感じました。

 

masqueradeを筆頭にして仮面舞踏会をテーマに作られた今回のコンサートは、初めみんな仮面をつけて登場します。頭上には輝くシャンデリア、真紅色のカーテンと黄金色の手摺や柵。誰もが想像するような豪華絢爛な世界。けれどそれは形だけではなく、セットリストのあらゆる場面で、姿を変え、色を変え、時には使い道も変え、七変化させていきます。

小道具も、バックの映像も、ほんのちょっとの歌詞の変化も、衣装も、ダンスも、「今までとは違う」、確かにそう感じました。

 

10年間、山田くんの背中を見つめてきました。時には離れもしたけれど、10年間、彼の成し遂げるもの、作り上げるもの、描く世界、それを見たくて。

今回、その一部分を垣間見たと思いました。

一番それを感じたのは「Ride With Me」。わたしが大好きな曲で、JUMPの第二章の幕開けともいえる曲です。変えられたテンポやリズムや振り付け。わたしはその間、山田さんのことをただただ双眼鏡で追っていました。こんなに美しい人が、こんなに必死に全力に、大好きな曲を踊って歌っている。ライトが当たってなくたってシャカリキにガムシャラに。汗が飛び髪が乱れても、ただただ力強く踊る山田さんの横顔が、本当に、本当に、この世のものとは思えないくらい、綺麗でした。

 

そう思った瞬間、涙が溢れて止まらなくなって、時が止まったみたいにただただ泣いて、双眼鏡をのぞき込んで、彼のことを心の底から愛おしく思いました。

こんなに綺麗な人。

こんなに美しい人。

こんなに努力家な人。

こんなに好きでいたいと思える人。

こんなに好きでいてよかったと思える人。

こんなに好きでいることを誇れる人。

大阪城ホールのメインステージで踊り続けるその人が、わたしの自慢の、自信の、誇りの、源の、山田涼介さんその人でした。

 

アリーナにいた私は、泣きはらした顔で、トロッコから見下ろしている山田さんの顔をじっと見つめました。周りには山田くんのうちわを抱えた人がたくさん、彼に向って笑顔で手を振っています。わたしの真上を通っていった山田さんは、ただにこにこと嬉しそうに、幸せそうにこちら側を見ていました。その瞬間にやっぱり泣けて泣けて仕方なくて、「あぁ、この人の道を照らす光の一部に、私はなれているんだろうか」と思いました。ただきみが笑ってくれるなら、前へ進んでくれるなら、それだけでわたしは幸せです。

 

演出や構成に関わった山田さん。彼が進むなら、変わるなら、新しい道を歩むなら。わたしはずっとその道を照らし続けていたいです。

「同じ歩幅で」、と、最後の挨拶で彼の口から聞いた瞬間泣き崩れてしまって、どうしようもないオタクだなと思ったけれど、でもね、その言葉が私は大好きです。

 

JUMP9人、同じ歩幅で、ずっと一緒にいてください。

ゆっくりでも、ちょっとずつでも、真っ直ぐ、君たちの行きたい場所へ。

明るくて楽しくて可愛いJUMPも、コンサートで見つけた大人っぽくて色っぽくて強気なJUMPも、まるごと全部ひっくるめて、君たちの色にして。

 

きみの声、届いてるよ。

終わらない夢を、見たことない場所を、それを追い続けるきみの背中を、きみたちの背中を。どうか見つめさせてください。

 

いつもありがとう。

これからもよろしくね。

 

親愛なる Hey! Say! JUMPへ。

舞台 「それいゆ」を観劇しました


今、それいゆを見たその足で乗った電車の中で、この記事を打っています。
基本的に、ブログの記事はお家に帰って、お風呂に入って、アイスでも食べながら書くんですが、今回はそんな悠長なことをしている場合ではなさそうです。

中山優馬くん主演舞台、「それいゆ」大阪公演初日を見てきました。

舞台は戦時下の日本。時代の流れや周りとの価値観にぶつかりながら、それでも「美しく生きる」ことを諦めないイラストレーター・中原淳一の半生を描いた舞台です。


とにかく見て欲しい………………


大阪公演は日曜までですが東京公演もあります。もう、ほんとうに。チケット買って配って歩きたい。それくらいよかった。とっっっっってもよかった。
以下、ストーリーのネタバレはありませんが感想です。








「美しく生きる」ってなんだろうと思って、舞台に向かいました。
だって、美しく生きてる人なんて、そんなにいないんじゃないか。きっと「美しく生きる」って、自分に正直に、取り繕わず、誰に見られても恥ずかしくないような、品行方正な生き方なんだろう。そう思って見に行った「それいゆ」で、頭に海賊船ぶつかったんじゃないのと思うくらいの衝撃を受けました。ルフィーが見える……。

優馬くんが演じる、中原淳一先生は、美しかった。とても美しかった。
だけどそれと同じくらい、いや、それ以上に、淋しくて弱い人でした。貫く信念もある。輝かしい才能もある。けれど、「きみはどう思う?」「ぼくは間違っているんだろうか」。ふとした時、先生はそう言います。子供のような、捨てられてしまうのを恐れるような、心もとない目つきでそう言います。
美しく生きる先生だったけど、決して強かったわけじゃない。ぶれなかったわけじゃない。自分に自信があるわけじゃない。醜いところがなかったわけじゃない。強がっていなかったわけじゃない。ひとりの、どこにでもいる、孤独に耐えられない、ありふれた人間です。それでも先生は美しかった。なんでなのか。

中原淳一先生は、前を見ていました。

なにをしたい?どこへいきたい?そのために、なにをしたらいい?その1本の、幹のような強い志に盲目と言っていいほど突き動かされ歩み続けた中原淳一先生。疑問を投げかけ続ける。間違いを糾弾しつづける。自分が思ったことならば、伝えます。それが綺麗事だと言われても、誤解されても。
ときに俯いてしまうこともあります。信念を曲げてしまいそうになるときはあります。でも、決して自分には負けなかった。それは自分の為でもあり、誰かの為でもありました。自分の信じる道のため。そして、そんな自分が笑顔にしたいと思う誰かのため。


優馬くんがやるべき役で、優馬くんにしかできない役だったと、確信しています。

舞台が進むにつれ、優馬くんが優馬くんじゃないように思えてきました。この人は、どうしてこんなに美しいんだろう。どうしてこんなに苦しむんだろう。その気持ちを救いたくて必死で、ただ涙が止まりませんでした。自分の求める理想と、その理想からはかけ離れていく世界。自分と世界の狭間で揺れ動き苦悩する中原淳一先生を演じる優馬くん。つらそうで、苦しそうで、悲しそうで、だけど、彼が自分の選んだ道をゆくのは、必然なんだろうなと思います。

選ぶことは残酷です。選ぶことは、選ばないことでもあるからです。未来を掴むことは残酷です。未来を掴むことは、未来を潰すことでもあるからです。
目の前にある選択肢。そのうち自分から切り開き、手に取ったものは果たしていくつあるんでしょう。

「美しさ」って何ですか。中原淳一先生は、そして優馬くんは、そう問いかけます。ブランドのカバンを買って、流行りの服装をして、誰かと同じライフスタイルを目指して。それって、「美しさ」ですか。そう聞かれて、どきりとしない女性の方がいまどき少ないと思います。なによりそれを問いかけるのが優馬くんならなおさら。あんなにまっすぐ、きらきらと輝く、星のような人に聞かれてしまったら、頷ける人は少ないと思います。

「美しく生きる」ことはむずかしいです。でも、「美しい」からって必ずしも強い必要はないんです。だって、中原淳一先生は、弱さも寂しさも醜さも全部抱え込んでなお「美し」かったから。苦しんで、苦しんで、苦しんでなお、「美しく生き」たんです。

私の思う、「美しい生き方」は、他人に真摯に向き合い、偽らない正しい言葉で思いを伝える生き方です。


あなたの思う「美しい生き方」は、なんですか。

「あなたは、美しく生きていますか。」