ときめきフレーバー

2007年9月24日。最高のクラスメイト9人に囲まれた“永遠に卒業しない学校”に入学。

加藤シゲアキの話をしたい

加藤シゲアキのことをわたしはよく知らない。


彼のことを加藤シゲアキとして認識したのは本当にここ最近のことで、好きになったのは2016年になってからのことだ。
意識したしていないにせよ、彼の名を初めて目にしたのは「ピンクとグレー」が出版された2012年のことのはずだ。
そのころわたしはジャニーズよりもアニメや漫画や文学や野球が好きで、山田さんの主演ドラマ「理想の息子」も見てはいたが主題歌は買わなかった。NYCの一件でアイドルがどんなに脆いものなのかとか、彼らの友情がファンや事務所によって簡単に壊れることなんだと知ったからなのかもしれない。夢を与えてくれるはずのアイドルも平気で私たちファンを裏切ることがあると思った。

だからこの時加藤シゲアキをいくら認識したと言っても、「ジャニーズが本を出した」というその事実に「ふぅん」と思うだけだった。



前も書いたかもしれないが、わたしは中高6年間文芸部にいた。
その話をすると決まって「文芸部ってなにするの?」と聞かれるが、うちの文芸部の場合は半年ごとにで研究する文学作品か文豪を決めて、それぞれ好きなものを選び班に分かれて研究していた。わたしは何の因果か宮沢賢治を2回やった。
好きだ!賢治!でも文豪界の推しは武者小路だった。彼の、透明ですっぱくて、夢見がちって言われても人間の美しさをちゃんと描けるところがかわいくって大好きで。
わたしは文芸部だった。そして文芸部だから、小説も書いた。文学賞に応募して、有り難いことに何度か賞を貰ったこともあった。だから、と言えるほどのものでも何でもないんだけど、あのころ自分にはそれなりに「美学」みたいなものがあった。


文学作品の研究をする時、いつも作品と共にそのときの作家の状況をたどる。宮沢賢治を例にとれば、「永訣の朝」という作品は彼の最愛の妹・トシが亡くなったときの作品だ。

永訣の朝

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)


とっても静かで、優しくて、寂しいそんな書き出しのこの詩は、生前作家として認められることのなかった賢治にとって唯一無二の理解者であったトシへの深い愛情、そして大きな悲しみをわたしたちの心にそっと残してゆく。
声に出して読めば読むほど、悲しみと、決断と、別れの色に染まった朝が目の前に開けてくる。教科書にもまだ載っているんだろうか。載っているといいな。

賢治の詩は、それだけで見ても言いようのない素晴らしい作品だ。
そして私たちは、今は亡き彼のその時の感情や状況を知ることが出来る。それは作品に強烈なリアリティを与えると同時に、一つの「作品」としての、つまり、作者も何も関係ない、詠み人知らずのような純粋な「作品」としての側面を失いかねない。
文学作品の研究をするとき、わたしは作者の背景や過去と作品の記述とを結びつけていたが、その度、顧問の先生に「やってもいいけど、し過ぎるのはよくない」と釘を刺されてきた。

作品と作者を同一視するということは、作者なしで作品は生まれないという意味では作品をよりよく理解するということかもしれないが、純粋な「作品」としての個性を奪うという意味では安易かつナンセンスなことになるのだと。
中学生のころは、先生が何を言っているのかよくわからなかった。


でも、自分が稚拙でも小説を書くようになって、ひとつわかったことがあった。


わたしは小説を書くとき、その作品の登場人物ひとりひとりに自分の感情の欠片や過去の断片を託す。それは悲しみだったり虚しさだったり孤独だったり喜びだったり幸せだったりする。でも、負の感情であることが圧倒的に多い。
彼らに託す感情の欠片はその時わたしのものだ。自分の中で消化できないものを押し付けていると言っても過言ではない。でも、その欠片を受け取った登場人物は、その欠片を客観的に吟味して向かい合って、そして彼らなりに消化してゆく。そのときその感情の欠片はもはやわたしのものではない。彼らのものになっている。だから、ある意味では小説や作品は自分の鏡かもしれないが、またある意味では自分とは全く関係のない物語でもある。
先生が言っていたのはそういうものなのかもしれない。作品を作者の過去や経験と結びつけるのは簡単で納得しやすいものかもしれないが、でもそのことだけに満足してしまうのは偏った見方なのではないかと。


加藤シゲアキの事をわたしはよく知らない。
小山さんにシゲちゃんかわいいを連呼されて、NEWSの活動の中でも脚本を担当して、フェルメールでヴァンパイアでターバンで色気ダダ漏れで、作家兼ジャニーズという独自の路線を貫きながら、アイドルらしさを忘れない、それでいて、嗄れ声が可愛くてよく笑う、可愛い可愛いシゲちゃんしか知らない。
作家になる前の、プライドの高い、どこか一歩引いたような、メンバーに引け目を持つような、スーパーエリート街道でデビューして、自分の役割を見つけられずもがいた彼の事をわたしはよく知らない。
だからこそ、素直に、純粋にこの作品を読みたいと思う。初めの1ページをめくろうと思う。作品を作品として受け止めたいと思う。そして、「加藤成亮」がこの登場人物たちに託した想いの欠片を、拾い上げたいと思う。


絶望的に素晴らしいこの世界に、僕は君と共にある
―『ピンクとグレー』加藤シゲアキ


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追記 NEWS、2度目の24時間テレビメインパーソナリティおめでとう!4人で掴んだ夢を、わたしにもまた見せてください。