ときめきフレーバー

2007年9月24日。最高のクラスメイト9人に囲まれた“永遠に卒業しない学校”に入学。

さくらのような君でした

 

春、という言葉が、こんなに怖くて、悲しくて、つらいものになると、いったい誰が予想できただろう。

田口淳之介くん。きみのいない春がやってくる。

 

 

海風が心地よい、わたしの地元にもももうすぐ春が来る。幼き日の田口くんは、かつてこの街にいた。

彼がこの街にいたことを地元の友達から聞いたのは、彼がこの街からいなくなったずっと後のことだった。だから、なにか思い出があるとか、そういうことじゃない。ただ、自転車で海っぺたを走ったり、電車の車窓から川沿いを眺めたり、そういうとき、ふと、彼もこの風景を見たんだろうかと思う。しょっぱい香りの海開きも、明るい夏祭りも、彼はこの街で迎えたんだろうかと思う。

そういうことを考えながら過ごすうち、彼のことを好きになっていた。テレビで見かける度、会ったこともないのに、懐かしいような気がした。おかしな話だけど。 

 

大学入試の国立前期で落ちて、落ち込む暇なく後期試験になった。その金曜日の夜、後期試験の前日にホテルでテレビをつけたらKAT-TUNがそこにいた。いつもと変わらないパフォーマンスにわたしはとても安心したのを覚えてる。

後期試験に受かって、第一志望とは違くとも自分なりに満足できる結果の大学に行くことになった。合格発表をパソコンで見たその足で、友達と水族館に行くために自転車を漕いで、駐輪場に止め、歩き出したときに、普段よく分からないアロハばっかり流す商店街のスピーカーから、GREATEST JOURNEYが流れてきた。その時に、ふっと、後期のあのホテルのことだけじゃない、いままでのKAT-TUNのことが自分の事と重なってたくさんフラッシュバックして、泣けて泣けて仕方が無かった。

 

毎週月曜日は、がつーんを聞いて、さぁ、一週間が始まるぞと思うことが、自然なことになっていた。

人間関係に疲れたり、勉強がうまくいかなかったり、いろんな時があるけど、それでも田口くんと中丸くんの声は優しくて、温かくて、面白くて、笑っていられた。夏のはじめ、家族旅行の行きの車で聞いたがつーんで、中丸くんがずうっとゲームの話をしていた。田口くんはそれを聞いて笑っていた。それが面白くて、楽しくて、やっぱり田口くんが好きだなあと思った。

 

K-POP好きな友達と、東方神起チャンミンと田口くんが似ているんだって話で盛り上がって、二人で新大久保で激辛チャーハンをひいひい言って食べた。

並んでいるところが見たいね、という話をしたら、チャンミンはもうすぐ兵役があるから、二年くらい先になるかなというので、じゃあその時が楽しみだ、と言った。二年。そのころ彼はいったい、どこでなにをしているんだろう。わからない。そして知る権利も、わたしにはもうなくなっている。

 

高校生活最後の大掃除の日、昼の放送でV6のTimelessが流れてきた。

いい歌だね、いい歌だ、友人にそう言いながら、お弁当を食べて、ぽろりと涙が出てきた。いままで沢山聞いてきたはずなのに、突然、歌詞が田口くんにリンクしてしまってぼろぼろ泣いて、クラスの皆に困ったように笑われた。いろんな人におかずを分けてもらったりハンカチをもらったりお菓子をもらったりして、ちょっとした誕生日みたいな扱いを受けた。友達を驚かせてしまって、申し訳ないことをしたと思う。

 

人生に後悔は付き物だというけれど、わたしは5月の自分にもしも今会えたなら、引っぱたいてでも、会いたい人に会いにいけよと伝えたい。「チケットが余ってるんですけど、来ませんか?」。KAT-TUNのコンサート「quarter」にいきたいと思っていたところで誘われて、わたしは、行きたい、田口くんのうちわを持って、あのすらっとした手足のしなやかなダンスを見たいと思った。思ったはずなのに、思ったはずなのに、わたしは東京ドームに行かなかった。優馬のコンサートもあるし。お金もないし。ツアー発表があるに違いないし、カウントダウンもあるに違いない。そうだとしたら、わたしは、大学に合格して、京セラドームで胸を張って田口くんに会おう。勝手にそう決めた。

わたしが勝手にそう決めて、勝手に言い訳して、彼に会うための最後の現場をみすみす逃したのとおんなじように、彼もまた、勝手に決めて、勝手に言い訳して、わたしの前から姿を消す。

それを責めたてるのは、悔やむのは、惜しむのは、勝手なことかもしれないけれど、でも田口くんだって勝手にいなくなるんだ。だから、わたしも勝手なことをしたい。田口くんに対して勝手なことを言いたい。すごくすごく自分勝手なことを言いたい。大人になりたい、大人になりたいと、ずっと思っていたけれど、今日だけは子供に戻らせてくれ。きれいな言葉を言えなくてごめんなさい。でも、今日だけは、今日だけ、勝手なことをを言わせてくれ。

 

きみが好きだった。

とっても好きだった。とってもとっても好きだった。きみに会いたかった。きみを一目見たかった。東京ドームで、きみのつまんないギャグに笑いたかった。メンバーに冷たくあしらわれても幸せそうなきみの笑顔が見たかった。きみのにこにこ笑顔から想像できないような美しいダンスを見たかった。でももうそれはひとつも叶わない。一つ残らず、ただの夢になってしまって、春がぜんぶ連れ去ってしまう。春が田口くんをさらっていく。わたしには、なんにもできない。なんにも。

どうして、と思った。どうしてやめちゃうの。どうして続けてくれないの。もっともっと好きだと言っていたらなにか変わった?本当に辞めなくちゃならないの?その必要があるの?どうして止められないの?たいして田口くんに何もしてあげられなかったのに、何もしてあげられなかったからこそ、そんな風に思って、涙が止まらなかった。あなたが築いてきたものは、そんなにも脆かったんですか。中丸くんと二人で未来を語ったきみの笑顔は、本物でしたか。疑うまでもなく、田口くんの思いに、言葉に、嘘なんてないのはわかってる。痛いほどわかってる。わかっていても辛かった。6人の中の田口くん。5人の中の田口くん。4人の中の田口くん。3人の中に、もう田口くんはいない。

12月のあの日から、結局わたしは一歩も進めていないみたいにふと泣けてくるのに、田口くんは笑ってわたしの前からいなくなる。あの日の顔が、いつもと変えたダンスのフォーメーションが、気が付けばわたしの脳裏によみがえる。結局冬に入ってから一度もがつーんは聞かなかった。

田口くんの発表の翌月発売されたMyojoの一万字インタビューを読んで、もう何を言っても変わらない未来なんだと確信できて、とてもとても悔しかった。何度も読んで何度も泣いた。

まるで揶揄するように「悲劇」の冠を被った新曲はいい曲だった。いい曲なのに、歌詞があまりにも強くて切なくて、たくさんは聞けなかった。

二度と哀しみに流す涙なんて 僕らに要らない
悲劇を 今 越えてく


 こんな記事書きたくなかった。

書きたくなかったんだ。辛いし悲しいし寂しいけど彼の背中を押しますと、新しい門出を祝いますと、笑ってそう言いたかった。そう言うのがあるべき姿なんじゃないかって、思ってて、わかってて、そう言うために、自分の中で必死で整理してきたつもりだった。泣きごとも、言わないようにしてきた。もっと悲しんでる人だっているんだから、わたしなんかより、ずっと途方に暮れている人がいるんだからって、そう思って、できるだけ言わないようにしてきた。

でも無理だった。無理だよ。悲しいものは悲しくて、寂しいものは寂しい。好きなものは好きだ。ばかみたいに泣いて、春を感じて泣いて、別れの曲で泣いて、新曲で泣いて、もう、この三か月、ずうっときみに泣かされてばっかりだ。返してよ、女子高生の、最後の大切な三か月を返してよ。ばか田口くん。

笑ってお別れをしたかった。でもそうできないのは、なんでなんだろう。

どんなに笑う田口くんを見ても、悲しくて泣けて来てしまうのは、どうしてなんだろう。

理由を探しても探してもはっきりとなんて分からなくて、ただただ、涙が出てくる。

カラオケに行って、何の気なく入れたサスケの「青いベンチ」を歌いながら泣いたことがあった。「この声が枯れるくらいに君に好きといえばよかった」。そうだと思った。言えばよかった。会えばよかった。それをしなかったのはわたしだ。わたしなんだ。

春、という単語を聞きたくなかった。桜を見たくなかった。梅を見たくなかった。全部もみの木に変わってしまえと思った。一生クリスマスでもいい。

田口くんのことだけじゃなかったんだ。わたしが優馬くんを好きになるきっかけだったラジオも、勉強のお供に聞いたシゲとゴリさんのラジオも、ヒナちゃんとマルちゃんのラジオだって、少プレだって、がつーんだって、春が来れば終わってしまう。桜と入れ替わるように散ってしまう。

そんなの偶然だってわかってても、運命なんじゃないかって思ってしまう。たくさんのたくさんの好きなものが失われる春。そんなの求めてないのに。

 

明日、きみはどこで笑ってるんだろう。わからない。わかりたいと思うことも、もう許されなくなる。

なんで、と聞いても、やっぱり彼は笑うんだろうか。いつもの、目じりにしわを寄せた、ちょっと困ったような、幸せそうな笑顔で。その笑顔が好きだから、わたしはきっとこれからも、きみのことを嫌いになんてなれない。

最後のMステも、最後の少プレも、最後のタメ旅も、最後のがつーんも、田口くんは泣かなかった。いつだって笑ってた。それがあんまりにも田口くんらしくて、いやになる。


まだ、きみの空いている左手を、探していてもいいですか。

さよならを言う勇気はでない。帰ってきてよ。いかないでよ。笑っていてよ。東京ドームでわたしを待っていてよ。そんな言葉ばっかりだ。

くやしいと、かなしいと、さみしいがごちゃ混ぜで、妖怪泣きじゃくりばばあみたいな顔で、いまこうやって文字を打っている。それが、余計に悔しい。


春の列車はもうプラットホームまで来ている。田口くんは呑気に駅弁なんか食べて、発車のベルがなる列車の窓からこっちを見ている。いつもの笑顔で手を振っている。どんなに行かないでと言ってもベルにかき消されて声は届かない。

人生は旅のよう。「未来のタメ」に旅立つ理由があるからきみは行くんだね。扉が閉まったら、もう田口くんはホームじゃなくて、車窓から未来をみつめている。列車は二度とこの駅に帰ってこない。

 

これから先、わたしは何年経っても、何十年経っても、田口淳之介のことをふっと思い出して、泣けてしまうんだろう。悔しく思うんだろう。悲しく思うんだろう。なんでだよって思うかもしれない。

それでも田口くんが決めたんなら、そんなわたしに一瞥もくれないで、一瞬も振り向かないで、一粒の涙もこぼさないで、一言も言わないで、わたしの前からきれいさっぱりいなくなってくれ。そうして、三人で東京ドームを満席にするKAT-TUNを見て、安心して笑ってほしい。

そしたら言ってやるんだ。田口くんのばかって言ってやるんだ。みすみす、こんな機会を逃して、本当ばかだなって言ってやるんだ。ああもう本当に、田口くんはばかだ。本当にばか。こんなにこんなに素敵な仲間、もう二度と出会えないんだから。田口くんのばか!!!!本っ当にばか!!!!!!!!!


まだ背中は押せないけれど、前向きにはなれないけれど、目は逸らさないから。いつだって戦うKAT-TUNがいるなら、わたしの大好きな田口くんが愛したKAT-TUNがいるなら、わたしは彼らの背中をしっかりと目に焼き付けたい。新しい道へ進む3人を追いかけていたい。

悲劇なんかじゃないよ。壁なんかじゃない。ずっと見てるから。ずっとずっと好きでいるから。だから笑ってほしい。田口くんへの思いを乗せて、春の大阪で笑顔のきみたちを待ってる。

 

田口くん、幸せでしたか。

わたしは、あなたが好きでした。

 

 

さようならを言わない自分勝手を、許してください。

田口くん。ありがとう。

加藤シゲアキの話をしたい

加藤シゲアキのことをわたしはよく知らない。


彼のことを加藤シゲアキとして認識したのは本当にここ最近のことで、好きになったのは2016年になってからのことだ。
意識したしていないにせよ、彼の名を初めて目にしたのは「ピンクとグレー」が出版された2012年のことのはずだ。
そのころわたしはジャニーズよりもアニメや漫画や文学や野球が好きで、山田さんの主演ドラマ「理想の息子」も見てはいたが主題歌は買わなかった。NYCの一件でアイドルがどんなに脆いものなのかとか、彼らの友情がファンや事務所によって簡単に壊れることなんだと知ったからなのかもしれない。夢を与えてくれるはずのアイドルも平気で私たちファンを裏切ることがあると思った。

だからこの時加藤シゲアキをいくら認識したと言っても、「ジャニーズが本を出した」というその事実に「ふぅん」と思うだけだった。



前も書いたかもしれないが、わたしは中高6年間文芸部にいた。
その話をすると決まって「文芸部ってなにするの?」と聞かれるが、うちの文芸部の場合は半年ごとにで研究する文学作品か文豪を決めて、それぞれ好きなものを選び班に分かれて研究していた。わたしは何の因果か宮沢賢治を2回やった。
好きだ!賢治!でも文豪界の推しは武者小路だった。彼の、透明ですっぱくて、夢見がちって言われても人間の美しさをちゃんと描けるところがかわいくって大好きで。
わたしは文芸部だった。そして文芸部だから、小説も書いた。文学賞に応募して、有り難いことに何度か賞を貰ったこともあった。だから、と言えるほどのものでも何でもないんだけど、あのころ自分にはそれなりに「美学」みたいなものがあった。


文学作品の研究をする時、いつも作品と共にそのときの作家の状況をたどる。宮沢賢治を例にとれば、「永訣の朝」という作品は彼の最愛の妹・トシが亡くなったときの作品だ。

永訣の朝

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)


とっても静かで、優しくて、寂しいそんな書き出しのこの詩は、生前作家として認められることのなかった賢治にとって唯一無二の理解者であったトシへの深い愛情、そして大きな悲しみをわたしたちの心にそっと残してゆく。
声に出して読めば読むほど、悲しみと、決断と、別れの色に染まった朝が目の前に開けてくる。教科書にもまだ載っているんだろうか。載っているといいな。

賢治の詩は、それだけで見ても言いようのない素晴らしい作品だ。
そして私たちは、今は亡き彼のその時の感情や状況を知ることが出来る。それは作品に強烈なリアリティを与えると同時に、一つの「作品」としての、つまり、作者も何も関係ない、詠み人知らずのような純粋な「作品」としての側面を失いかねない。
文学作品の研究をするとき、わたしは作者の背景や過去と作品の記述とを結びつけていたが、その度、顧問の先生に「やってもいいけど、し過ぎるのはよくない」と釘を刺されてきた。

作品と作者を同一視するということは、作者なしで作品は生まれないという意味では作品をよりよく理解するということかもしれないが、純粋な「作品」としての個性を奪うという意味では安易かつナンセンスなことになるのだと。
中学生のころは、先生が何を言っているのかよくわからなかった。


でも、自分が稚拙でも小説を書くようになって、ひとつわかったことがあった。


わたしは小説を書くとき、その作品の登場人物ひとりひとりに自分の感情の欠片や過去の断片を託す。それは悲しみだったり虚しさだったり孤独だったり喜びだったり幸せだったりする。でも、負の感情であることが圧倒的に多い。
彼らに託す感情の欠片はその時わたしのものだ。自分の中で消化できないものを押し付けていると言っても過言ではない。でも、その欠片を受け取った登場人物は、その欠片を客観的に吟味して向かい合って、そして彼らなりに消化してゆく。そのときその感情の欠片はもはやわたしのものではない。彼らのものになっている。だから、ある意味では小説や作品は自分の鏡かもしれないが、またある意味では自分とは全く関係のない物語でもある。
先生が言っていたのはそういうものなのかもしれない。作品を作者の過去や経験と結びつけるのは簡単で納得しやすいものかもしれないが、でもそのことだけに満足してしまうのは偏った見方なのではないかと。


加藤シゲアキの事をわたしはよく知らない。
小山さんにシゲちゃんかわいいを連呼されて、NEWSの活動の中でも脚本を担当して、フェルメールでヴァンパイアでターバンで色気ダダ漏れで、作家兼ジャニーズという独自の路線を貫きながら、アイドルらしさを忘れない、それでいて、嗄れ声が可愛くてよく笑う、可愛い可愛いシゲちゃんしか知らない。
作家になる前の、プライドの高い、どこか一歩引いたような、メンバーに引け目を持つような、スーパーエリート街道でデビューして、自分の役割を見つけられずもがいた彼の事をわたしはよく知らない。
だからこそ、素直に、純粋にこの作品を読みたいと思う。初めの1ページをめくろうと思う。作品を作品として受け止めたいと思う。そして、「加藤成亮」がこの登場人物たちに託した想いの欠片を、拾い上げたいと思う。


絶望的に素晴らしいこの世界に、僕は君と共にある
―『ピンクとグレー』加藤シゲアキ


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追記 NEWS、2度目の24時間テレビメインパーソナリティおめでとう!4人で掴んだ夢を、わたしにもまた見せてください。

男性恐怖症とジャニーズ

書こうかどうか、ずっと悩んでいた。
でもいつか向き合わななくちゃならないことだと思っていたから、今回このことについて書くことにしました。ジャニーズそのものの話とは少しずれてしまってごめんなさい。それでもよろしければ。

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