3年間のこと(長文)
NYCが結成した2009年から2012年までの約3年間、
山田担という看板は下ろさなかったものの、
わたしはHey!Say!JUMPのCDを買うことも、
ライブにいくこともありませんでした。
そして2013年から、再びJUMPのことを追うようになり、今に至ります。
これから先も山田くんのことを好きでいるために、
そしてなにより自分のために、この3年間のことを書いておこうと思います。
わたしが山田涼介くんというアイドルを好きになったきっかけは、
あの『探偵学園Q』でした。
仲間と和解した直後の、
あの照れたような困り笑いにハートをぶち抜かれたのです。
余談ですがこの時の山田くんの髪型、すごく好きです。
そして7、JUMPがデビューし、CDを買ったとき、はたと気が付きます。
「あれ……中島裕翔くんだ……!!」
そこには、『野ブタ。をプロデュース』の亀梨くんの小さな弟・中島裕翔くんの姿!!
かっこいい!!しかも真ん中に!!
その時は、自分の好きなアイドルが二人とも同じグループにいることが、ただただ嬉しかったと記憶しています。この二人がダブルセンターなんだ。そう思いました。
デビューから約7年間山田担であることと同じくらい、
裕翔くんがいることで、わたしがJUMPに惹かれたことは間違いありません。
裕翔くんが真ん中にいて、山田くんが隣にいる。
わたしはその構図がきっと好きだったのだと思います。
まっすぐできらきらした裕翔くんと、その横で彼を懸命に追う山田くん。
わたしが担当としてうちわを買ったのは山田くんだったのだけれど、
裕翔くんがいてこそ山田くんがいて、この二人が何よりも好きだった。
今思えば、当時の私は「裕翔くんの隣にいる山田くん」を応援していたのだと思います。
高木くんと山田くんが真ん中にいた次のシングルでも、その気持ちは変わりませんでした。
けれど、3枚目、4枚目と重ねるにつれ、
気が付けばJUMPが「山田くん」と「その他」というグループになっていったことを、
子供心ながらにしっかりと感じていました。
そんな中でJUMPから少し距離を置くようになったのは、NYCboysの結成がきっかけでした。
優馬くんについても、B.I shadowについても、確かにそれぞれ思うことはありますが、わたしが口を出す話ではないし、
それに、優馬くんもB.Ishadowも大好きでした。
関西弁でちょっと気弱な優馬くんは可愛いし、彼らの前でしか見せない山田くんの顔もまた好きでした。
いつかの山田くんの誕生日ドッキリのときの優馬くん、すごく可愛いです。(笑)
ただ、それでも何か違いました。
山田くんと裕翔くんがバラバラになってしまった。
それが胸につっかかって、自然と彼らを追うことをやめました。
CDもアルバムもツアーでさえ、あったことも知らなかった、そんなレベルで。
そして、ドラマ『理想の息子』が始まります。
裕翔くんと山田くんのあの絶妙な距離感に悶々としながらドラマは見ていました。
でもやはりCDを買うこともせずにいて、2013年。
「山田涼介・ソロデビュー」の文字に、大きなショックをうけました。
急いでCDを買い、ビデオクリップとメイキングを見て唖然としました。
わたしの知っている山田くんじゃない。
なにが違うとも言い切れないし、昔より抜群にきれいになっている。
でもなにか違う気がしました。
今でもミスヴァのジャケットを見ると複雑な気持ちになります。
『Come On A My House』も、発売からしばらくの間買いませんでした。
あの明るい曲調と、山田くん、JUMPが釣り合っていない気がしたからです。
無理してるような気がしました。
JUMP離れが終わったのは『Ride With Me』を音楽番組で聞いた時でした。
この曲を聞いたとき5年越しに、やっと、Hey!Say!JUMPの音楽を聴けたと思いました。
それにこの歌、歌詞もすごく好きです(笑)
一部ではまっすぐすぎとか幼いとか言われるけれど、でも、当時のJUMPをそのまんま歌詞にしたような感じがして。
それから少しして、JUMP好きの友人にあれよあれよと影響され、5年ぶりのライブ『Live With me』へ。
これがまた楽しかったんですよね(笑)
特にBEST!筋肉Tシャツ!
5年前のまま記憶が止まっていた私にとって、当時高校生だったBESTはすごく大人という印象があったのですが、もうそれはそれはぶち壊されました(笑)
むしろBESTの方が子供……とかいうと怒られそうですね。
そして、極め付けがこれ。
裕翔くんの山田くんへのほっぺちゅー!!
これがききましたね、わたしのハートに(笑)
「山田くん」と「その他」だったHey!Say!JUMPが、
いつのまにか山田くんの「帰る場所」になっている。
メンバーひとりひとりが自分の居場所を見つけて、輝いている。
結成の際もひと悶着あり、寄せ集めとまで言われたJUMPが、この7年間で築いたものの大きさを感じました。
それと同時に、あの三年間を後悔しました。
けれど、あの三年間がなければ、JUMPを俯瞰で見ることができずにいたのだろうと思い、いまはそのことを後悔していません。
『Myojo』で彼らの10,000字インタビューを読んだとき、すごく泣きました。
裕翔くんと二人の山田くんが好き。
ファンとしての気持ちが彼らを追い詰めていたこと。
自分の力じゃもうどうにもならないところで、それでも必死にもがいていた山田くん。
そして、孤独の中、まっすぐな瞳で居場所を探し、光を求めて進んできた裕翔くん。
二人を心の底から尊敬しました。
わたしは山田くんが一番つらかった時期、ちょうどJUMPを離れていました。
森本君の脱退の件も、本当にここ1,2年前に知ったくらいです。
Dash!!も初めて聞いたときは、裕翔くん、作詞したのか―というくらいの気持ちでした。今は流れると泣くからやめて!!といって止めてしまいます(笑)
だから今「山田担」と名乗っていいのか、少し不安な気持ちがあります。
それでも、同じ歩幅で一歩ずつ進んでいくいまの彼らを、
心の底から見守りたいと思っています。
たくさん間違えるでしょう。たくさん失敗するでしょう。
ときには叩かれるかもしれないし、ときには不祥事もあるかもしれない。
グループとして、どうなんだと思うようなこともあるかもしれない。
それでもわたしは彼らを見守り続けようと思います。
批判するときは思いきり批判します。それでもその底に、JUMPへの尊敬や、JUMPが最高のグループになることを信じる気持ちを忘れないで居ようと思います。
山田くんの「帰る場所」であるJUMPとしてだけではなく、最高のグループ「Hey!Say!JUMP」を応援していこうと思います。
JUMPは学校だと薮宏太は言った。
2007年9月24日。最高のクラスメイト9人に囲まれた“永遠に卒業しない学校”に入学。
わたしはこの言葉を忘れません。
彼らを信じていこうと思います。
JUMPが好きです。
どうぞ、これからよろしくおねがいします。